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讃岐うどんブームの仕掛け人田尾和俊氏、今治で大い語る。うどんだけじゃない企画の発想法は大変勉強になりました。

麺通団団長 田尾和俊氏

今治地域地場産業振興センターで開催されたIBICスペシャルセミナー『さぬきうどんブームのプロモーション~視点、発想、常識を変える~』に行ってきました。

講師は、四国学院大学カルチュラル・マネジメント学科教授という肩書きよりも、麺通団団長としての肩書きの方が有名な田尾和俊氏です。

個人的には、「恐るべき讃岐うどん」の頃からファンであり、ユーモアを交えた軽妙な語り口の文章にはまって、讃岐うどん88カ所巡りを挫折した自分にとって、会ってみたい人だったのです。で、今回の講演で、生で田尾氏の話が直接聞けるまたとないチャンスだったので、仕事の打ち合わせをキャンセルするという冒険を犯してまで聴講しに行った次第です。

ただ、最近は、高速道路週末1000円のお陰で、人気のうどん店は、週末の行列が2〜3時間待ちという凄いことになっていて、流石に気軽に行けなくなっているので、讃岐うどんを食していないので、田尾氏に申し訳ないなと思いつつ聴講した次第です。

まずは、タウン誌編集長時代の話から、何故か、タウン誌の企画を考える時、どのようにして読者のターゲッティングを行うかという話から入りました。

タウン誌というのは、若者向けというカテゴリーをターゲットに情報を編集し発行する媒体なのですが、若者という大雑把なカテゴライズではダメで田尾氏が編集長をしていた頃の「タウン情報かがわ」では23才をターゲットとしていたそうです。

実年齢と精神年齢は別と考えなければいけないそうです。地域環境によって違うそうなのですが大体20〜25才ぐらいを境に、それ以下の世代は、背伸びをしている世代として、+5〜10才ぐらい年齢を高く見積り、逆に20代後半からは若返り願望の方が強くなるので、-5〜10才と低く見積もるのだそうです。そこから20代前半に受ける企画を立てると、ちょうど良い若者向けの良い塩梅な企画が作れるのだそうです。そこで23才という年齢が良かったという事なんだそうです。

よく犯す間違いとして、10代後半を意識し過ぎた企画を立てしまうと、彼らの背伸び願望に受け入れられずに、逆にバカにされてしまうという事が起きるそうです。最悪、雑誌の廃刊って事にまで繋がるそうなので、大変です。

次に、雑誌に載せられる情報とは何かという話になりまして、情報は3つにカテゴライズされるんだそうです。1つ目は過去情報、2つめは現在情報、3つめは未来情報となります。タウン誌の場合、情報から読者をお客として掲載したお店に足を向かわせなければ成立しないので、まず、情報から行動できるかというのを目的としているので、行動できるかというのを基準に判断して、2つめの現在情報と、3つめの未来情報を扱うという事になります。

そこで、大事なのが、情報をカタログ化しないという事だそうです。新人記者が書くキャッチコピーに、「白を基調にした洗練された空間のお店。」というのがあるそうです。こういう事を書かれて、このお店がどんなに素晴らしいお店でも行きたいと思うでしょうか。殆どの人が行きたいと思いませんヨね。自分の親しい友人に、このお店がどんなに素晴らしいお店なのかを伝える時は、こんな伝え方はしないはずです。これが情報のカタログ化という事みたいです。

「人を動かす情報」と、「人に情報を伝える情報」は、似て非なるモノというのが良く分かりましたヨ。

まずは、目的として、誰をどうしたいのかというのを設定した上で、その手段として、友達が行ってみたいと思うように説得するかのような記事を書くという図式になるという事だそうです。物凄く、仕事で文章を書くときに参考になる話でしたヨ。ここって分かっちゃいるけど出来ませんっていう世界なので、改めで認識させていただきましたヨ。

この後、うどんブームの歴史と現状っていうテーマに移るんですけど、「恐るべき讃岐うどん」の頃から知っている人にとっては蛇足以外何者でもないのですっ飛ばします。

それから、讃岐うどんのプロモーションに話題が移る訳ですが、この辺りから田尾氏の話に熱がこもってきました。冗談も冴え渡り、聞く側としても乗って聞き入っていました。

まず、うどん王国香川でも、80年代後半までは、うどんは若者向け(特に女性向け)では無かった為、現在情報を扱うタウン誌としては扱わないジャンルだったんだそうです。

ところが、田尾氏がたまたま連れて行かれた製麺所型のセルフうどん店で、あまりにアバウトなうどんを食する文化に触れたのだそうです。迷路を攻略するがごとく田舎の住宅地を縫うように走り、目的のうどん店に行き、店のルールも分かるぬまま、自分でうどんを作って食べるという、今まで味わった事の無い体験をした田尾氏の頭に、「これを読者に体験させれば「レジャー」として成立するのでは」とアイディアが浮かんだそうです。それが「恐るべき讃岐うどん」を書くきっかけだったのだそうです。

テーマは、「うどんで若者を動かす」として、あくまで、うどんはグルメにあらずレジャーだという信念の元、まずは、香川県下の個性的なうどん屋の情報を、口コミや足で収集し、そのうどん店でうどんを食するまでに体験した事を、そのまま記事にしたのでは弱くなってしまう為、し過ぎぐらい大きく膨らましてワクワクを綴ったストーリー性のある記事にして雑誌連載を続けたそうです。この企画が成功は最初に決めたテーマの初志貫徹したという事につきるそうです。

この流れから、講演のテーマは企画の発想法に移りました。

まず、企画を発想する時は、場所、物、人、事で考えると良いそうです。これをうどんのプロモーションに当てはめると、場所は、うどん王国香川県となります。次に物はうどんだけと思いがちですが、店舗の外観も含めて、うどん店にある物全てだそうです。そこには、そのうどん店の個性がにじみ出ているので、良い企画になるチャンスが眠っているそうなのです。次に人、これはうどん店の大将になります。有名人を作り出す事により、人はその人に惹かれて行動を起こすからなのだそうです。最後に事、「讃岐うどん王選手権」や「讃岐うどん88カ所」といったイベントを定期的に仕掛ける事で、より深い讃岐うどんマニアを育て、さらに呼び水となって、さらに加熱したそうです。

これは余談なんですが、これら一連の流れがブームを引き起こせば、今まで傍観していたテレビや新聞等の大メディア(笑)が、便乗しようやってくる訳ですが、うどんを若者のレジャーとする初志を貫徹為に、紹介する店舗は、あえて味の良い店を避けて、行って面白い店を紹介したそうです。大メディア(笑)も田尾氏達の思惑通りに動いてくれたお陰で、全国区のブームへなっていたったそうです。

こういった、ニッチなアイディアの発想するには、企画を引き出したい事柄に対して、年齢層というものを連結させたり、性別、ライフスタイル等々を加えたりして思考することで、企画を引き出したい事柄に対してのニッチなニーズが見えてくるんだそうです。讃岐うどんブームは、今まで考えなかった、うどんと若者をいう連結を考えたからこそみえてきたニッチな市場だったという事らしいです。

具体的な目標(ゴール)を掲げたから、具体的で有効な手段に気付き、行動をする事が成果に繋がったというのが、田尾氏が繰り返していたのが印象的でした。ただ、目的を具体化するのは、かなり難しい作業で、ほとんどの場合、途中であきらめ曖昧模糊とした目標ついつい立ててしまうそうです。具体的な目標が立てられても、具体的で有効な手段を発想出来ない場合も多く、これの解消は努力しかないそうです。

後は人が行動したいと思うもの(買いたいとか、してみたいとか)を揃える事で、やっとスタートラインに立てるそうです。

この後、講演は質疑応答となるわけですが、補足的な内容でしたので本文に含んでいます。

以上、長々と書きましたが、講演内容です。どちらかというと読んでもらうというより、自分への覚え書きという事で書いていますのでご免なさいです。しかし、内容はとても濃く、うどんブームの仕掛け人だからこそ気付いた事柄も多く語られていますので、大変有益でしたヨ。もっと講演を聴きたいと思った2時間でした。是非とも田尾氏には、2回目の講演をお願いしたいものです。よろしくお願いします。

講演終了後は、ちゃっかりご挨拶して、名刺を頂きました。自分の一生の宝物にさせていただきます。

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このページは、naganagaが2009年12月19日 22:02に書いたブログ記事です。

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