Naga Blog

Political and Economy

売れたモノの勝ちと考える人たちの功罪。

大夫古い話になってしまうのですが、6月29日のNHK「クローズアップ現代」の放送で、ちょっとショッキングな調査結果を知りました。日本女子大の調査で「人は死んだら生き返らない」と答えられた小中学生は僅か3割というのです。大多数の小中学生は「人は死んでも生き返る」と答えたそうです。自分たちの感覚では「人は死んだら生き返らない」というのが普通の感覚だと思っていたのですが、現代の未成年の社会ではそれは異質な感覚のようです。

この放送を見た後、直感的に、佐世保で起こった佐世保同級生殺害事件を含め、ここ10年前後に頻発している子供が引き起こす不可解な事件や、酷くなる一方のいじめ問題は、ここに鍵があるような気がしています。

「人は死んでも生き返る」と聞いて、有識者のコメントで、「ゲームで自キャラが死んだときリセットして死んでないところからやり直すって行為が良くない。」というのがありますが、これってゲームしたことが無い人の意見ですよね。将棋は古典的な戦争ゲームなんですが、将棋の駒が盤面から外されるときに、兵(兵士)の死を悼む事な無いのと同じで、どんなにゲームのルールが進化しようが将棋と駒あつかいであることには変わりないと思います。

ではなぜ、彼らは「リアルな死」を感じなくなってしまったのか。自分なりに考えてみると、核家族化と医学の進歩で、一人の人間が死んでいくのを見る機会が無くなったというのもあるとは思いますが、一番の原因は、やはりメディアでの取り扱い方だと思います。特に幼少期から見ることが多いアニメやマンガで扱う死が大変軽いモノに成り下がっていると感じています。特に「週刊少年ジャンプ」に連載されている漫画や、それを原作としたアニメは現実を無視し過ぎじゃないかと思う作品が多いと思います。(天才バカボン等のナンセンスギャグ系は除く)

全身打撲や大量に血を流しても生きている人間、炎で焼かれ黒こげになっても生きている人間、全身数十カ所刺されても生きている人間、全ての事柄が実は大けがで済んでましたという超幸運人間、復活の呪文で幽霊になっても生き返る人間etcと、超人といっても過言じゃないキャラクター達が、あたかも普通の人間のように描かれています。また、主人公側も敵側も無慈悲に殺戮を行えるキャラクターがかっこいいってことになってるし…。

シリアスな作品で、こんな描写を幼少期から見続けていれば、人間はものすごくタフなんだと思いこんでも何ら不思議ではありませんよね。実際に未成年が引き起こした殺人事件の犯行の残忍さがそれを物語っていると思います。イジメにしたって、殺さないだけで根は同じだと思います。彼らにとって見れば、マンガやアニメでやっていることをそのままなぞっただけですからね。殺す前は残忍だなんて全く思ってなくて、犯行後にその残忍さに自ら恐怖するというのが、この手の事件のパターンになっているような気がします。殺さないだけでイジメも発覚して事の重大さに気付く…。

小中学生の大多数が真面目に「人は死んでも生き返る」と答える事実を考えると、すでに後戻りできない場所に来ちゃっているのもしれませんね。売れたものの勝ちで勝者は何やっても許されるっていうマンガ・アニメメディアの考え方が変わらない限り、子供らによる犯罪やイジメ、自殺はこれからもどんどん量産されるでしょう。

とりあえず、「無慈悲なキャラクター」と「死んでも生き返る」っていう描写はやめませんか、業界人の皆様。

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このページは、naganagaが2004年8月20日 23:59に書いたブログ記事です。

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